夕香はさりげなくもう片手に刃を取り死角からそれを投げていた。それに気付いた月夜
は飛び退りその刃を払い宙に逃がした。その隙を狙って夕香が刃の下に入ってくる。
「この」
 月夜は刃と夕香の距離を見て舌打ちをした。夕香の刃を受けるのをかまわずに回し蹴り
を放ち夕香を遠く左に飛ばした。夕香の刃は月夜の服を割いて間一髪皮膚に傷をつけてな
かった。落ちた刃にふくらはぎを刺され月夜は思わずうずくまった。
 何が起こったかよく分かってない夕香は受け身も取れずに岩に激突した。ずるずると下
に落ちた夕香は強く打った肩を抑え低くうなった。
「本気でやりやがったな」
 夕香には見えてなかった。ふくらはぎから大量に出血し蹲り逃げる術を持たない月夜の
姿が。
 そのまま左肩を押さえ月夜に向かって走っていった。その目に宿るのは狐の妖力。その
身に纏うのは狐の瘴気。夕香は完全に我を失っていた。
 月夜はそれを見て痛む足を無理やり動かして飛び退り一時的な結界を張り刃を抜き痛み
を遮断して立ち上がり結界を解いた。
「馬鹿か?」
 目を細めて舌打ちした。剣印を横に薙ぐと月夜を中心にして暴風が吹き荒れる。それが
夕香の瘴気を払う。出血は続く。地を朱に染める。
「短気なのが玉に瑕なんだよ。この子は」
 教官は呆れたように言うと最後に死ぬなよと冗談とも取れないその言葉を月夜に投げか
けた。
「さて、どうしましょうか」
 暴風の中、馬鹿みたいな直線で向かってくる夕香を見て溜め息を吐いた。ここまで来る
と下手な目くらましも野生の勘で見透かされるだろう。
「……瘴気はざっと四メーターか。飛び退った瞬間に結界を張ればどうにかなるかな」
 親指を噛みながら呟いた。困ったときに出る彼の珍しい癖だ。その他諸々あるのだが、
大概彼は意識してない。その全てを知っているのは嵐だ。
 夕香が向かってくる。来る瞬間、横に退き結界を張った。普段張る強度を少し強めたと
いうのにミシリと嫌な音を立てた。
「圧力も結構あるな」
 ボソリともらすと舌打ちをした。解くと夕香はこちらをにらんでいた。まるでそれは狙
いを定める獣。月夜はそっと片手を夕香に向けた。
「浄化か?」
「はい」
 月夜は頷き手のひらに熱い力が集まるのを意識した。程なくして夕香が苦痛に身を捩り
向かってきた。その動きに集中して一気に横に退こうとした。だが、足からの出血が酷く
体勢が崩れた。
「くっ」
 空いていた手で体を支え熱い力を手の平と自分を包む膜に分けた。足はもう動かないだ
ろう。集中していたからだろうか、貧血状態に陥っていると気付かなかった。目の前が眩
むがそれを堪えて一途に待つ。
 だが、そのときは来なくして月夜の気力が尽きた。体を支える力をなくし首をしめてく
る夕香を見る。膜も薄くなりついにそれも消えた。
 その瞬間、月夜の体に狐の瘴気が入り込んだ。肺が焼けるような痛みと息が出来ない苦
しみの中、月夜は意識を失った。
「いい加減にしろ、日向」
 教官は呆れながら窒息しかけている月夜の元によった。そして夕香を月夜から引き離し
瘴気を鎮め夕香の頬に張り手を与えた。
「教官」
 訳がわからないようにきょとんとしたが記憶が戻ったのか夕香は教官から離れ月夜のも
とに向かった。
「瘴気を?」
 確認するように呟いた夕香に頷きもう一度頭を叩く。
「まったく、お前は短気すぎる。いい加減に直せ」
 その言葉を聞いていたかは不明だが夕香は月夜を抱き起こし呼吸と脈を確認していた。
そして寝かせると剣印を結び一つ吐息を漏らした。
「天津神に吾は祈る。この者の不浄を払除し賜えと畏み畏みて申す」
 淡い光が月夜を包む。苦しげな表情は消え浅い呼吸で薄い胸板が上下していた。
「……天狐の里に向かっていいですか?」
「解毒の草を?」
「はい。長老に頼み込みます。人の血で薄まっているとは言えども天狐の瘴気は強いです。
それなりの解毒剤を必要とします。あの里では来たる日に向かって修行を積むものがいま
す。万一の事故に備えて解毒剤は用意しています。それを少しばかり頂くために滞在を赦
してもらいたい」
「異界に滞在する場合は分かっているな?」
 夕香は首に下げている魔除けの水晶を教官に預け長い髪を束ねていた紐をポケットから
出して共に教官に預けた。
「では」
 一礼すると月夜を召喚した使い魔に背負わせ教官が張った結界から出て行った。そして
少し歩いて近くにある杜を抜けると一つの門があった。そこには一人、薙刀を持っている
金色の天狐がいた。若い面だが外見に似合わぬ貫禄がある。その天狐はその面に険を乗せ
て夕香を見た。
「旅のものか?」
「いいえ。長老に話があるので」
「何者?」
 金色の髪を持ち四つの尻尾を生やし狐耳を持つ男は夕香に尋ねた。
「貴方、ここに来て数年しか経たないのね。それじゃあ知らなくて当然よね。あ、爺様」
 門の内側にいた年老いた狐を見て嬉しそうに声をかけた。
「姫?」
 年老いた狐は一瞬にして人のような姿を取った。
「蒼華姫で?」
「はい」
 穏やかに微笑むと年老いた狐は門番である金色の毛皮を持つ狐を、老人とは思えぬ速さ
で引っ叩き門を開けた。
「背の男は?」
「あたしがへまして瘴気すわしちゃったから解毒剤欲しいなって」
「そう言う事であれば私めにお任せください。ささ」
 夕香はその老人の後に続くと月夜を老人に任してこの里の長老に挨拶に向かった。部屋
に入ると一人の銀色の髪を持つ青年が目を閉じて端座していた。
「長老」
「蒼華?」
 些か驚いたように目を開いて首を傾げた。そして長老は深く溜め息をついて夕香の言葉
を待つ。
「突然で申し訳御座いません。近くに来たものですから」
「用は?」
 話が早い人で助かると内心思いながら事情を泣く泣く話した。そして、長老の開口一句
は予想に寸分とも違わぬものだった。
「戯け者」
 鋭い一喝に小さく身を震わせ縮こまっていた。正座してそのお説教を聴いて深く頭垂れ
た。
「その者は?」
「畝那爺の下に。解毒剤を今後のためにも分けていただきたいのです」
「そうか、……とりあえず準備させる。少し待て」
 一礼するとその長老は部屋からいなくなった。

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